一年前の昨日、文筆家になると決めた。
2026.7.17朝
一年前の昨日、文筆家になると決めた。憧れの存在である、小林秀雄と井筒俊彦と池田晶子の様に深遠なる神秘の世界を文字という方法で彩りある表現をしてみたいと思ったことが入口であり、また、人生の大きな流れを見てくれる方の助言もあり、文筆家になると決めた。
文筆家という言葉は池田晶子の肩書で知り、また、小林秀雄も同じように言われる処があり、二人の様になりたいという恋心から、文筆家という言葉を好んで使っている。
文筆家という言葉から貴方は何を想像するだろうか。
字義通りに受け止めるなら、筆で文を執る人、ということだろう。筆なのだ、パソコンではないのだ。仮に、そのような字義であるなら、筆で物を書くことが文筆家としての魂を感じられるのではないか。その様な問いを持ったことも、万年筆を手に取った所以であり、また、偉大な精神に近附くには偉大な精神が文筆してきた原稿用紙を用いるのも理としては必然の帰結となることは想像の通りである。
これらの文筆道具を使うことで私が発見したのは、良い物には良いものが感じられるということだ。安かろう悪かろう、という巷の言葉は一定信頼できるものだと知った。考え抜かれ、感じ続けることができ、それらをこの世に解き放つ職人に対して或る程度の対価を払うことは至極当然のことで、高価な物の意味を知ることになった。
体験に高価を払うことが価値だと信じ続けてきた私には、扱う物にも同じ価値が在ることに本当の意味で気付けたのは人生の中で使えていなかった手が動くような嬉しさが訪れた。
そしてこれらの精髄を小林秀雄は縦横無尽に語っていた。
無学の私にはこの世にある美しい物を認識する術を持っていなかったが、小林秀雄の御陰で、この世に溢れる美しい物の本当の意味と、それを直覚出来る人間の偉大なる知性の存在の発見に大いなる興奮を覚えたことは人生の午後に突入している私にとって人生で最高の発見になった。
文筆家として、偉大なる精神を引き継いでいきたいと希うようになった。埴谷雄高は精神のリレーと呼んだ。私も其の精神のリレーに参与して、天才をこの世界に継いでいきたいと希うようになった。残念ながら、私が逢いたい精神は現存しないが、文字と言葉を通して偉大な精神、謦咳に触れることが出来る。
改めて昨年の誓いから一年が経った。人は希うものを言葉で世に出し、其れが見え続ける限り、初心と想いに立ち返ることができる。次のこの日が来る時、この日誌が書籍として世の人にお役に立つことを誓いたい。
偉大なる精神を継ぐこと、其れらを私が超えていくこと、そして次の生に引き継げるような存在になりたい。
克己、超越、自同律の不快。
岡村拓朗


