ダリの絵葉書
2026.9.6(日)朝
人はそれぞれ色んな生き方をしている。ダリの絵葉書を見ながら、時が止まったような、時が進んでいるような、そんなダリの絵を見ながら、ダリのような人もいるのだと思ったわけである。それぞれが与えられた生の時間は決まっていて、増やすことも伸ばすこともできない。
むろん、栄養や運動や遊びや学習によって長く生きながらえる時間の増やし方はあるけれども、私が言いたいことはそういうことではなく、生まれてから死ぬまでの時間は、決められた時間は変えられないということを申したいのである。だからこそ、己が求めている声に忠実に歩みを進めることが、生を存分に味わう方法に思える。
社会や他人が定義する評価にだけ依って立つと、それはそれで一つの生き方だが、私にとっては勿体無い生の使い方に思える。あの人が良いと言ったから、あの人が大事だと言っていたから、皆が持っているから、社会が大切だと言っているから、といった事にだけ振りまわされるのは勿体無いということである。
自分の頭で、本質を見にいく
それは天から授かった自分の頭で物事を考えていない状態であり、自分の頭で考えていないということは動物から抜け出せていない様に私は思う。では、自分の頭で考えるとは一体何だろうか。
私にとっては、一つずつの物事を疑ってみる、いま見えている事象のその奥側や深みに何がつながっているのか見てみる、自分がとらえている事物や事象を言葉でも絵でも身体でもよいので表現しながらその実体を見てみる、これらが「自分の頭」で考えているという状態に見える。もちろん、まだまだ多くの定義を置けそうだが、「自分の頭で考える」とはそのものの本質を見にいくということになりそうだ。
生存への執着を生んだもの
ちなみに、そのものの本質を見に行く、と書いて、ふと、はじめて入った会社のことを思い出した。私が大学を卒業して入った会社は、人材派遣や人材紹介を扱っていて、私は法人営業として仕事に就いた。もともとは経営コンサルを志望し就職活動をしていたのだが、悉く落ちた。途方に暮れていた先に、人材サービス業という業態と出会った。人材コンサルタントという肩書で求人を出しており、当時、コンサルタントにあこがれていた時分、応募した。その時は、漠然と人が好き、という何ともふわっとした理由で就職活動を再開し、やっとのことで何とか内定をいただいた会社だった。
法人営業という職種を選んだのは、生きる、ということの最適解であると当時の私は考えていた。もし、交通事故や不慮の事故で身体が動かなくなった場合、手や足が動かない状態になってしまった場合、もし口だけが生き残っているなら、病院のベッドから電話だけでお金を稼ぐことが出来るのではないか、と、そう考えたのだ。
どこも私を雇ってくれない状況が来たとき、なにかを売るという営業という行為が出来るのなら、食いっぱぐれなく生きていけると思ったのだ。それを実現できるのが、営業という仕事だったわけである。
おそらく、この生存に対する執着が芽生えたのは祖父の死だったように考えられる。私は両親、兄、祖父と暮らし、祖父は多忙な両親にかわり多くの愛を私に授けてくれた。小学校低学年の頃から彼が他界した私が大学2年時まで、共に長い時を過ごした。当たり前に生存する祖父の姿を見てきて、消えてなくなる日が来ることを想像できていなかった。想像したくなかったかもしれないし、想像することも出来ぬほど馬鹿者だったかもしれない。
祖父の死はその日の出来事で急に他界したわけでもないが、それでも病院、入院、死まではおおよそ3ヶ月くらいだったはずで、私にとっては気が付いたら死んでしまった、という感覚だった。最愛のものが消えてなくなる。
そのような体験を20才くらいの私は獲得した。多分、この喪失体験が私の生存に対する執着を生んだ大きな契機になったように思う。死への恐れと死への考察といかに生きるかを考える契機になったのだと思う。
自分の歩みの源を見つめる
人はそれぞれが人生の中で体験し、獲得してきたことをはじめ、先人の遺伝子を引き継いできた元に、人生の歩み方を決定している。恐れから歩みを決定するものもあれば、希いから歩みを決定するものもあるが、獲得してきた情報と感情を基に、歩みを決めている。
その歩みの源になっていることを見つめ、その歩みの源になっていることの見つめ方を知ったとき、より多くの選択肢がころがっていることに気付くように思う。そして、それらの選択肢を意図的かつ自覚的に選択することができるようになれば、多少は自分の生を存分に生きていけるような気がする。
それと同時に、何故かわからないが、ついついやってしまうことや、ついつい考えてしまうこと、お願いされてもいないのに考えたり動いてしまう天与の命に逆らわず生きていければ、納得した生を送れるのではないだろうか。
今年も九月になり、残すところ4ヶ月を切った。便宜的に与えられた時という概念に縛られるのも癪だが、とはいえ、己の生を最大限に活かしていきたいと思った。そう思ったわけである。
岡村拓朗



