西郷隆盛は敬天愛人と言った
2026.8.5(水)朝
ひとりひとりがそれぞれの色を持って生きている。
ひとつひとつの場所がそれぞれの静寂と喧騒をもって生きている。それぞれが独自の色を放ち、自分らしく、その場所らしく生きて、活きている。
良いとか悪いとかそういう話ではない。天に生かされているだけで、宇宙で在りつづけようとする生命の主張なだけだ。
西郷隆盛は敬天愛人と言った。
天や万物から見たら、人の命など極く一瞬の儚いものだが、それでも天や万物が我々人間に与えた命の意味は、昼も夜もひっそりと輝く星のように、命を輝かせて生きることに思えて仕方無い。
偉人は常に宇宙や天を想い、宇宙や天から物を考えていたように思う。私が氣附かなかっただけだが、偉人の観は、いつも広大で無限大の中に共存する有限の漆黒を見つめていたのではないだろうか。
不変の中に変化を見出し、大局の中に神の細部を見る。希いや祈りの性質に近い類いのものをまとめて、信じる行為としたとき、考えてもなくて、思ってもなくて、信じている我々は、一体そのとき何を信じているのだろうか。何に私は信じさせてもらえているのだろうか。
私という私を定義できないまま私という私が私の中か外にある信じるものを持ち、信じるという行為をすることで私という物体を超えて存在として信じる行為と同一化する。
信じるという行為も定義できないまま、それでも信じるという行為が私を掴んで放さない。掴まれた私は信じるという行為と生を共にし、私が信なのか、信が私なのか解らない。
流れ行く川が止まっているように見えている。
川が止まっているのか、流れているのかが問題ではなく、川がそこに在ることで全てが成立している。
赤いとんぼが外で自由に舞っている。自由に舞っているそれを見ている私は、実はとんぼなのかもしれない。胡蝶の夢を想い出した。
貴方の夢は何と一体化しているだろうか。
岡村拓朗

