2026.6.16(火)朝

言葉遣いを氣にし始めたのは社会人になってからだろうか。

営業職として企業開拓をしていた新社会人の時分、とあるお客様から、「岡村さんは一所懸命で誠実なのに、敬語と謙譲語がめちゃくちゃで勿体ないわね」とストレートに言われたことがあった。当時の私は自分の言葉遣いが間違ったものと思わず、そのように指摘されたことに、内心すごくざわついて、ショックを受けたことを覚えている。

今ふりかえれば、単に傲慢だった小僧の鼻を折られたという、若氣の至りというような話だが、自身は優れているという強烈な思い込みが優先し、客観的に正しく自己の姿を見ることができていなかったといえる。その出来事を通して、自信過剰だったその小僧は恥をかかないよう、言葉遣いに氣を使い始めたわけだ。

恥をかくだけではなく、営業職として成果を上げることも、言葉遣いを正し始めた理由にある。思い返せば、その出来事は、私にとって象徴的な出来事であったようで、それ以降、自己啓発本を読み漁り、自分なりにでも、出来る人間として自己を創り上げる体験となった。

その後、自己啓発本を始め、英語、松岡正剛、世界一周中にかじった中国語、タイ語、ロシア語、アラビア語、ヘブライ語、スペイン語を日常の旅先で使えるくらいにした記憶がある。また、世界一周後に帰国し、就職した企業でも多くの新しい日本語に出会い、仕事における日本語の能力は飛躍的に高まった。無形商材を扱う仕事だった為、如何に言葉を通してお客様に想像をつけていただくかが勝負の別れ目となった。

当時、自身の日本語の明確さのレベルが求められるものと比べて低く、第二の衝撃として、言葉に感度が高まった体験であり、良い経験になった。またその後、独立してコンサルタントやコーチ、講師として働くなかで、話し言葉でなく書き言葉で自身の考えを多面的に表することに苦戦し、文語のレベルを上げたいと願うようになった。これが言葉遣いにおける第三の衝撃であった。

人間、何度も何度も考えて、各視点に基づいて文章にしていくと、能力は高まるもので、自身でもそれなりの文章が書けるようになった感覚が生まれ、最低限、講師としての言葉を獲得していったように思はれる。

そして、4年前くらいだろうか、私の言葉遣いの衝撃の中で、度肝を抜かれるものに出会った。それが小林秀雄だ。

コーチングを共に学び、共に努力した仲間が教えてくれたのが小林秀雄だった。今まで読んできた事すべての本も凌駕する言葉が、小林秀雄の言葉だった。難解な表現で何度読んでも解らぬものの、何度も読んでいると解らぬにもかかわらず、不思議と少しずつ小林秀雄の文章の骨格が見え始め、その骨格に附いている肉を一つずつ掴めるように読み渡るようになった。

次第に、小林秀雄が私の目の前で語ってくれているような錯覚を起こし、読者は著者との対話、という意を少しづつだが体感するようになった。加えて、小林秀雄の本には旧漢字が多用され、その文字を理解する上で、自分も旧漢字を使いたくなるようになった。そこには小林秀雄の巨大な知のようになりたいと欲する氣持もあれば、これは本当に不思議なのだが、旧漢字を読んでいると、その漢字が立体的かつ呼吸しているように見えてきたのである。

私が学んできた漢字には無い、血が通っているように見えたのだ。そのような体験があり、意図的に旧漢字を使うようになった経緯がある。言葉は新しく仕入れていくことで、この世界を多面で表すことができるだけでなく、何よりも自身が内側で捉えている曰く筆絶するようなものを外界に紡げることは、本を読む醍醐味であるし、また、超一流の本に触れ、間接的にも謦咳に接することで、自己の魂のレベルを上げられる。

言葉遣いというテーマで書き始めたが、文学に、言葉に魅せられたことを思い返すだけでなく、恥をかくことはその一個の小さな人間を、この社会の中で独り立ちさせるうえで重要な出来事になったようだ。

人間は失敗から学ぶことができる知性を持つ物体であり、私というこの宇宙の中で極く極く小さな塵のような個体であるとしても、私の研修やコーチングを通して、考へることや感じること、言葉にすることの面白さに、関わるすべての人がその私の想いに触れて影響を受けてくれたのなら、それは私にとって小林秀雄に少しでも近附けたことになるように思う。

言葉は宇宙であり、はじめに言葉があった、という神言を思い出した。そのような言葉遣いに対する一抹の考へであった。希求。

岡村拓朗