私には大切な仲間がいる
2026.7.11(土)朝
私には大切な仲間がいる。苦楽を共にし、共通の目的に向かって頭をひねり、手を動かし、夢を叶え、進める仲間がいる。
私の仲間は、私を含めて、多分不器用だ。本当は、もっと承認されて、ちゃんとやれてることを認めて欲しい人達に思へる。何処かで、多くの人達に素晴らしい私の仲間達に称賛を送って欲しいと希う私が居ることに氣附くし、私自身、そういう自分が居ることにも氣附く。
でも、こんな風にも思っている。
貴方の努力や工夫を、僕は知っている。貴方の悔しさも、 僕は少しは解っている。貴方のひたむきな想いも、僕は少しは知っている。僕は貴方の献身的な姿に、いつも感謝と尊敬の念を感じる。多くの人にその姿が氣附かれていなくても 、私には貴方のその姿と行動に多くのことを教えてもらっている。不器用でもいい。希う姿に向かって精一杯頭と心をはたらかせて、其処に向かっていくことが大事なのだと思う。
人は何歳になっても心が成長、いや、発達していく。
そういう研究結果を知った時、救われる氣がしたのは40代に這入った入口だったと思える。成長や発達は若いうちの特権のように思へていたのだけれども、それは全くの誤解で、当人が成長や発達を希い、其処に向かって素直に努力していくこと、そして適切な学びを得ることが出来るのなら、私達は今よりもこの世界をもっと高く、広く、深く、もっと自由に飛びまわることができる。
人は何歳になっても成長し、発達することが出来る。でも、真剣に、この希いを実現しようと思うと、自分の弱いところを見つめる必要が出てきたり、自分の傲慢なところに氣附いていく必要が出てくる。
もっと謙虚に、それは卑屈になることではなく、自分の我欲を満たすことだけでなく全体にとって幸いであることを欲していく、開かれた己になっていく道程が其処にはある。
私という一個の生物がこの世界の中で息づいて、生を送ることができるのは数多な奇跡と数多の人の支えがあることに、ただただそういう見えていない私を支える物たちに氣附いていくことが必要なのだと私は思う。
そして、支えられているという有り難さを受け止めながら、その感謝の念を相手方に届けていくことが、この世界の恵みに応えて、人々と幸いに生きる道なのだと私は思う。
私の眼前にある大きな観葉植物は、新たな芽を指し、盛夏に向けて、すくすくと伸び始めていた。葉脈は一つのものの中で数多の繋がりが在ることを示し教えてくれている。
垂れ下がる緑の顔は、屹立する葉と仲良く踊っている。互いのハーモニーが一個の観葉植物 の中に存在し、私達のこの世界でも、 一人一人のひとつの色が、美しい世界を奏でていることを、踊る観葉植物が教えてくれて いる。
今日も鳥が囀っている。犬が鳴いている。私はそれを聞き、聴き入っている。
空は今日も透き通る青色だ。雲がその空にただただ浮いている。私達は一つでないことを、自然や動物は、やさしく教えてくれている。
私達はあらゆるものと繋っており、全ての繋がりの中で一つであることに氣附く。この世界に産み落ちたときも、あらゆるものの繋がりの中で、一個の私たちが生まれてきたが、一 個の私たちが独りで生きてきたわけではない。
人も物も自然も動物も、内と外で繋がりあって、一個の私たちを形成しつづけており、 また、一個の私たちも相手や物に繋がりを持ちつづけている。
繋がりの中で、私たちは一となっている。
この世界は今日も優しく、厳しく、慌しく、生の営みを顕わし続けている 。
今日も軽やかな鳥の囀りがこの世界を軽やかにしてくれている。
快晴。
岡村拓朗


