希いを胸に抱いて生きていい。
2026.7.10(金)朝
なぜ小林秀雄、池田晶子、井筒俊彦、若松 英輔に魅かれるのか。柳宗悦も最近読み初めて、その4人に同じく魅かれている。それぞれが持つ素晴らしさは異なるように思うが、共通し、通底しているものは神秘への憧れと探究に思える。
日頃、何気なく過ごしていることに対して、この4人はそれを見過ごさない。当たり前と思へる事、動作に対して、徹底的に考へ、徹底的に見つめ、深淵を観に行く。そして、観に行った景色に対して、それが伝わるように多彩な表現で言葉にする。
読んでいる私には、人間には未知をこれまでのレベルで現すことが出来ることに驚嘆の想いで見つめる。それと同時に、私も彼らのように、未知を言葉で表現し尽くしたい欲求があることに以前氣附いた。
表現できるようになるには、表現する為の言葉を持っていないと難しい。彼らの本を読み、部分的に写経し、成る程、こういう言語表現があるのかと、写経しながら一語ずつを味わっていく。写経するまでは、それを解っていた氣になっていたが、写経すると自身の見え方と理解の浅さに氣附く。
天は様々な力を我々人間に与えてくれた。その才に氣附くには、多様な事に挑戦して、自分の才が何に在ることに氣附くことが大切だ。当初から自身で解っていた才がそのままスッと開花することもあれば、思っていなかった才が拓かれることもある。
同時に、相当量を打ち込んでも残念ながら期待した姿になることもある、私の実感値ではここが一番多い氣がする。時に、人と比較して自身の才の無さに肩を落とすことや悲観に暮れることもある。或る程度、悲しみに沈み続けると、もう溺れない処まで行き着き、あとは浮上するだけの状態になる。
浮上している時、悲しみに暮れた涙や懊悩は少しずつ風に吹かれて、その城壁は崩れていく。私の悲しみと懊悩は形を変え、透き通る空と雲の水色と広大な光が私を包む。悲しみは何処かに消え、ただただ呼吸している自分がいることに氣附く。私を遮るものは周囲から姿を消し、見える大草原の上で光の下に私はいた。もっと楽になっていい、自分への赦しが訪ずれる。
人は強くも弱い生き物である。独りが素晴らしい時もあれば、誰かと共に居ることが素晴らしい時もある。この文章が独りぼっちに居続けるのは悲しい。誰かがこの文章を読むことで、人生の重みを減らせるなら、私の体験と氣附きは世界全体の幸福に寄与できていると思いたい。
昨日は、とある企業の上級管理職の方々向けの研修を担当させていただいた。参加者の方々に解りやすさと温かさが届くように、希いを込めて登壇させていただいた。研修終了後、お客様から「解りやすい」という声を頂き、希いの一つが叶い、嬉しかった。
登壇中、参加者の方々が真剣に、愉しそうに語らいながら学ばれる姿を見て、私のもう一つの希いが叶っていると感じた。希いを込めて向き合うこと、希いが届くように準備すること、希いを信じて良いのだと自分の希いを信じ抜くこと。
人は霊性を持つ。どんなに口と手を動かしても、その前提となる希いや考へ方が脆弱だと、発せられる言葉が心許ない。己の霊性を信じ抜くことは、自分の生を輝かせる源になるのではないだろうか。己の霊性だけでなく、あらゆるものに霊性が宿り、見えている其の奥の奥に一つずつを動かす源がある。
今日もお天道様がこの世界に数多の光を放出し、この世界に彩りを与えてくれている。私もその光に当てられ己の内にある光を感じることができる。
貴方にはどんな光が見えますか。
自分の輝きを放していい。小林秀雄も池田晶子も井筒俊彦も若松英輔も柳宗悦も、己の内にある光を信じ、その光を外界に発している。私が彼らに魅せられたものを、今、一つここで見つけることができた。
希いを胸に抱いて生きていい。
岡村拓朗


