昨日から蝉が鳴き始めた。
2026.7.19(日)朝
昨日から蝉が鳴き始めた。夏が来たことを告げてくれる日本の風物詩である。世界一周していた時に蝉の鳴き声を聴いた記憶が無い。
海外にも蝉はいるのだろうか。
人生で考えたこともないのだが、日本の夏を告げる蝉の存在は日本だけだと思い込んでいるのかもしれない。
思い込みという点で言うと、疲れている時ほど、目に這入った情報、それも断片的な情報で物事を判断し、意思決定することが起きがちだ。
余裕の無さ、という言葉に片付けるのは、いささか乱暴な気がするが、とにかく乱暴なまでにやる事を詰め込んでいると、その詰め込んだやる事の処理に追われ、氣附くと氣力体力が枯れ果て、最後には絞り滓になり、絞り滓の意思決定をして結果、不和が起きる。
これは私によく起きるパターンなのだが、やりたい事や好きな事、叶えたい事を詰め込んでいく傾向が強く、公私のバランスを崩す事が多い。ゆっくりじっくり進めることが苦手で、速度と効率を求めがちでなのである。
これは私の強みである反面、本当にそれが望む姿に向かっているかを問うと、これも些か疑問である。現在学んでいる効果性という考え方は、私の人生に於いて、大変に重要な事に思へる。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と孔子は言っていたが、私自身の失敗体験を省みた時に、その格言は正鵠を射ていることに氣付く。
では、その過ぎたる状態に氣付いて、過ぎない状態を作るにはどうしたらいいのだろうか。
欲を捨てろ、と仮に言われても神や仏ではないので、それは無理である。
では他に何があるだろうか。
今私が学んでいる事の一つに、呼吸がある。身体を動かすこともある。瞑想もある。このように身体を使って文字を書き続けるという方法もある。ただそれらの通底することを覗いてみると、其処には「身体性」という鍵語がある。
どうしてもすぐに考えてしまう私たちは頭で物事を処理しがちだが、その頭を司っている身体全体の感情機能や感覚機能を忘れがちではないだろうか。
若しかしたら、これは私だけが該当するのであれば失敬だが、働く人に於いては多くの人に共通するように思える。特に、考へる仕事やデスクワークに特化している尚更だ。
もし今日、私が書いているこの日誌が貴方にとって少しでも該当するなら、身体を使うこと、吸って吐いてを意図的に繰り返しながら身体の状態に意識を当てて身体の声に耳を傾けてみること、詰め込んでいるかどうかを睡眠時間と公私の時間枠で俯瞰してみること、これらを試してみてほしい。
そして、パソコンでも手書きでも良いが、いや、手書きが良い。紙とペンを持ち、考へずに手を動かし続けて貴方の氣持ちや出てくる考えや思いを書き続けてみてほしい。身体の中に眠っていた喜びや葛藤や悩みや痛みや願いが顕われることになる。
私はこの日誌を書き始めてから、私の内に眠る多くの物に触れることができるようになり、希いだけでなく、愚かな自分も多く氣附けるようになった。
日誌を書く前よりも、自分の背骨を通す軸が大分整ってきたように感じるし、傲慢な自分にも一定氣付けるようになってきたし、抑えていた欲求も見つけられるようになってきた。
人生は一度切りなのか、次の生が天から与えられるかは信じるものによって変わるが、与えられた生を十分に味わい尽くすには如何に自身を正しく自己認識できるかに依る。
何となく、それとなく、人生が無味に感じることがあるならば、今日私のこの日誌は多少貴方の人生の役に立てる気がしている。
何故に私が貴方にここまでメッセージを書いているのか解らないのだが、人生に対して希望を持って生きて欲しいという、そのような想いを天に持たされた気がしてならない。
今日も貴方にとって素晴らしい日であることを、私にとっても素晴らしい日であることを願いつつ、美しい青空と花瓶と観葉植物と万年筆に感謝を込めて。
岡村拓朗


