胸の高鳴り

2026.6.11(木) 朝
何か連載もので一つ長い文章を書きたい。日誌は日誌で良いのだけれども、何か一つ、貫くものを書いてみたい。司馬さんのように若き日の自分をテーマに書くのもよいが、私の場合、終始、自分の存在とは何かに関心を持ち、それを書き続けている。良いとか悪いとかそういうことではなくて、氣になってしまってしょうがないんだ。存在の解明。解き明かせないからこそ面白さを感じる。生き方は人それぞれで誰もが自分の幸福を追求して其れを実現しようとして生きている。そして自分の幸せに加えて他人全体の幸せ、環境の幸せを実現しようとしている人たちもいる。人それぞれ、自分の内側から湧き上がる想いをこの世界で現実化できるなら、それが一番当人にとって幸せなことなのだろう。私の場合、それが存在の解明、というとカッコいいけど、詰るところ私自身の解明に行き当たる。
高校の時分に出会った哲学の偉人たちに胸を高鳴らせたことを今でも覚えている。大学で哲学を学びたかったこと、社会人になってから霊性に興味を持って仏教や神道や諸々の宗教を少しずつ学んだこと、見えない世界と思考力と想像力を使って見えないものの可能性を推し測ること。どれも私にとって自然にそこに行き着いて、無形商材のビジネスをしているのも其の一つ。今はコンサルティングやコーチングを手段として、人の見えていない物を解明しようとしている。ついつい行動してしまうのは知識の獲得と内省時間の担保、そして最近は静寂の中で物を考えること。採算を度外視して、内から発する好奇心や関心に一直線に更に進みたい。固まった物の見方を外して、内から起こる心の向かう方向にそのまま突き進みたい。自分で多くのことをコントロールしているように見えるけど、実は自分ではない他者から支えを受けて事が無事に進捗していることに感謝をできつづけられるようにありたい。自分の心の箱に入れるものを定めて、人生の時間を集中して生きていたい。
そういう欲求の中、今、自分は生かされている。人がなぜ、なぜと問うてしまうのか。不思議だけど、なぜかそのように考へてしまう人間という存在。分からないことだらけの人間。だからこそ、其れを追うことの愉しさ。
意思を表す文字。言葉。もっと自分の意思も縦横無尽に文字を通して表現できるようになりたい。小林秀雄のように、池田晶子のように日常に潜む当たり前の不思議を追いかけていたい。井筒俊彦のように難解な対象を追求し続けられるようになりたい。彼らのように自分の生をかけて一つに追求できる人でありたい。憧れの存在に近付けるよう、今日も本質を追求し続けていたい。日常の一つ一つを大切に、自分の中に呼吸を採り入れながら今この瞬間を大切に一つ一つの積み重ねで最後に富士山のような大きく美しい物をつくりあげてみたい。第二、いや、第三の人生が動き出していて、それをあたたかく迎え入れたい。そういう人生を過ごしていきたい。
夢は見るもので、閉じこめなくていい。夢を見られる環境を整えて、一つずつ実現していく。今日、今この瞬間の軌跡を味わって生きていく。合掌。
岡村拓朗











