2026.7.16(木)朝

大きく切る、と書いて大切という言葉が顕れる。生きていると、日々横から上から下から斜めから様々な情報が流れ込んできて、一日という時間の中で消化できない状態になることが多い。

即断即決できるものもあれば、検討を要するものもあって、決断が必要な事は積まれるものもある。表面的に触れるだけで深層には行き届かずに期待しない残念な負の回転が何度も立ち上がることも多い。

他人の非難に終始したいところもあるが、其の負の回転を生み出している一部を自分が負っているのだから、結局己のパターンを変えない限り、本質的な変化は顕れない。

この現実を生み出しているのは己の認識や価値観、関心を持っているけれども手が出せていない現実、要請される日々の事柄、調和しづらい時間配分、遠慮と卑屈から来る自己防衛、浅い呼吸に依る充分な思考余白を生み出せていないこと、健やかな身体を棄損する食事習慣、詰め込み過ぎる仕事、、、等々、出せば切りが無いが、総じて十分な時間を生み出せていないことも横たわる。

私たちは何でもかんでも全ての事を取り扱えるわけではない。そう願っても、現実が許容しない。だからこそ大きく切ることが、大きく切るという考え方の採用が大切なのではないだろうか。

その大切を活かすには、大切を活かすための軸が必要であり、何処で線引きするかの判断軸を自分の中で明らかにしておきたい。

望まない現実と望む現実の間に横たわるものの探索。見えない、体験したことのない恐れや不安があることに挑戦すること。終わったとしても誠実に真摯に生きた己への納得。

大切にしたいことを大切にして生きるということは、涙無しには語れない。そのレベルで大切にしたいことを大切にして生きていけると、自然と望むものは集まってくる。

不快な現実を創り出している世界を終了させ、快をつくりだしても改めて立ち上がる不快。何を信じて生きていくのかを己の中で握っておかないと、振りまわされる。自律への勇気。フィードバックすること、受けることの挑戦。希う姿への接近。創造的な関わりと目的に準じた物事の進め方。考えることは終わらず。思考を与えること。呼吸。

今日も美しいガラスの花瓶は無に近い状態で全てを教えてくれている。

邂逅。

岡村拓朗