2026.6.30(火)朝  

ひょんなことから始まった。考えてもいなかったことが始まった。

流れるように、大きな流れに逆らわず、そのまま進んだら始まった。
そういう進行の仕方もあることを知った 。

人生の多くは、目標から逆算された能率的な動き方で埋め尽くされていた。成果を出すためには、そのやり方が最高だと思っていた。今でも、そのやり方が在ったからこそ此処までの場所に連れてきてくれたと思っているし、決して何も間違っていない。

ただ、私の現在の状態、ステージでは、その手法よりも直観的に掴んだ大きな流れに乗っていった方が事は、より善い方向に進んでいく ことを知った。 

人生の前半は蓄積で、人生の後半は編集、という考えをハーバードビジネスレビューで読んだ。キャリアについての示唆だった。成る程、たしかにその考えは、的に当たっている。人生の後半が編集になるのは、死を想うことが増えるからであろう。残りどのくらいの人生になるのかなんて誰にも解らぬが、それでも平均寿命や体力の衰えから、人生の過ごし方を更に、いや、ここで或る意味、収めて真剣に考えるのだろう。

と言っても、蓄積していたものを全て擲つ必要は無い。蓄積してきたものを少しずつ捨てて、また、新しい価値観によって新しいものを採り入れて いく。  

私個人で言うと、小林秀雄を通して、文学と大作家と言葉に憧れを持ったことは、人生の後半のステージにおいての地殻変動になった。他者から見たらどうなのか、それは儲るのか、成功に確度高い道なのか、といった類の得ばかりを得ようとする考えが一切無く、唯ひたすらに憧れに近附きたいと希うことだけが文学と大作家と言葉に挑む原動力となった。今この瞬間、この原稿用紙に書いてい ることも、ただその憧れに近附きたいと希うばかりに筆を執っている。  

筆を執るというと、以前はパソコンで文字を打つことがスピードが速く、大量の考へを表すことが出来る大変に効率的な方法と捉えており、文字通り、其の方法は大変に効率的だった。自分が大変に良く出来る人間であるという錯覚も、其の方法によって獲得できた。多忙だが敏感ではない状態だった。

頭だけが大きくなり、それ以外の身体のパーツは大切な機能を著しく衰退させ、不均衡な私を創り上げていた。充たされる感覚よりも、高速回転する状態に現を抜かしていた。  

私が今書いている、この原稿用紙と万年筆を使った方法は、大変に非効率である、パソコンに比べて。然し、充実感と満足感は異次元レベルで異なり、不思議な話なのだが、この執筆活動をすることになってから、今迄よりも頭が良くなった感じがするのだ。物事を深く考へていくレベルが、この活動以前よりかは高まったのだ。

一文字一文字考へながら感じながら書いていくこの行いが、実の処、大変に効果的であったのだ。思はぬ副産物であり、大変な幸運に辿り着いたのだ。  

人生の後半は編集という。其の極意は有り体に言えば、自分の価値観、頭ではなく気持、心、魂といった類の価値観に気付くことが出来るかによる。能率的で効率的な生き方だけでないことに気付き、最短最速という喧伝に唆されずに、能率・効率・効果・充実という要素を調和統合していくことが、人生の後半における大切な過ごし方になるであろう。  

人生はいつからでも始動できるのは、我々の心の状態についてだ。他の現実的な条件は其れ迄の人生の蓄積によって概ね決定されるが、其れでも、心が充たされる生き方は何時でも選択出来る。  

既に今ここに私たちは全ての選択肢と素晴らしい道があることに、大変な才能が自分の中に在ることに、それらを選ぶ力を持つ勇気が在ることに、ただただ気付いていくこと 。

其れが人生後半における充実度になる。

さて、貴方の前、貴方の中にはどのような選択肢が横たわっているだろうか。

呼吸と共に。

合掌。

岡村拓朗