小林秀雄への憧れ
2026.6.21(日)朝
人生には感銘を受けた言葉があるものだ。はじめに言葉があった、と言われるように、私達は言葉と共に生き、日々を活動している。
私にとっても、人生を大きく変えられた言葉があったし、それらの全てを覚えている訳ではないのだが、特に強烈な衝撃を喰らった言葉達があり、その代表が小林秀雄だ。
文芸批評という枠を打ち立てた人であり、日本を代表する文豪の一人だ。私の数少ない読書体験の中で、小林秀雄の言葉は正に圧倒的という言葉が相応しくて、人の知性というのは計り知れない処まで行き着くことを目撃させられた。
この小林秀雄の道を作ってくれたのが池田晶子、日本を代表する哲学者の一人と、私の友であるコーチングの仲間である。
池田晶子は10代の時か20代の時に、青少年を対象とした哲学エッセイを読み、生きているということは一体全体どういうことかを深く考えさせられたことを覚えている。そして、私が独立して仕事をするようになり、安定した日々を概ね確立できた後に、改めて池田を読み始めた。相当過去に読んだ時よりも、また一味違った景色で池田の言葉が這入って来たのは、私が中年のステージに立ったからであろう。
また、池田晶子の著作を半数以上読破するなかで、小林秀雄を深く慕う文が書かれており、それを読んだ当時の私は大した興味を持たなかったのだが、コーチングの友から、小林秀雄と岡潔の「人間の建設」を紹介された時に、その考え方に大きな衝撃を受け、そこから改めて池田晶子に戻り、という道を経て、小林秀雄に辿り着いた。
ここまで書いてきて、自分の記憶力の悪さに失望した。私の人生に大きな影響を与えた人達の具体的な言葉が出てこないのだ。どの様なものだろうか。然しどうだ、出来の悪いことを改めて自覚した処で、そのような事は随分前から解っていたのだ。
さて、少し小林秀雄の本を開きながら線を引いた箇所を置いてみよう。
生は、私達の持ち物ではない。私達が生に依存しているのだ。それが、孔子の「敬天」である。(考えるヒント2 天命を知るとは)
生活するだけでは足りない、生活の意味を求めなければ、と考えた或は感じた人々の心には、必ずこの言葉が浮んで来た(天という言葉)
意識的であるという事は、合理化された客体という己惚れ鏡を持っているという事に過ぎなくなる。内省によって捕らえられる意識がすっかり外部に投影されてるのである。心の或る機能に過ぎない知性を自負する事は、心を硬直させずには済むまい。硬直した意識に、どうして硬直が無意識できよう。能率的な生き方という一つの道が開かれているだけだ。社会の一般的な規格的な条件に、出来るだけ能率的に順応しようとする意識は、多忙だが、決して敏感ではない。(還暦)
知るといふ足音は、年齢の方から確実に伝わって来るだから、私は、たぶんこれを聞かざるを得ないまでで、これを聞く聞かないは、私の勝手ではない。感情を動かしたり、知性を働かしたりすれば、却って聞くのに邪魔になるようなもので、誕生に始まり、死に終る動かす事の出来ぬ精神的秩序をもった年齢の実在は、例えば向うに在る動かせぬ物質的秩序を持ってこれと同じぐらい確実なものだ。(還暦)
眼高手低という言葉がある。それは、頭で理解し、口で批評するのは容易だが、実際に物を作るのは困難だと言った程の意味だ(還暦)
成功は、遂行された計画ではない。何かが熟して実を結ぶ事だ。其処には、どうしても円熟という言葉で現さねばならぬものがある。何かが熟して生れて来なければ、人間に何も生む事は出来ない。(還暦)
微量の毒物が肉体を殺すように、知らぬ間に意識の面に浮んで来た一片の観念も、心的生活を荒廃させるに足りる。(天命を知るとは)
と言ったように、ここまで小林秀雄の言葉を書いてみて、書くことで小林秀雄を味わった感覚が生れ、私の中での憧れが改めて再認出来た。
短い文章で事の本質と逆説と批評を採り入れ、物の見事に凝縮したかたまりを形成しているのが小林秀雄の圧倒的な文才と文体と知性であると、私はそのように受け取っている。
私は私なりに文章をこれからも書いていくが、その文章の中には、いつも小林秀雄が私の其処に居て、謦咳に触れながら表現に取組んでいきたい。
今日も私の前には観葉植物がただただ佇んでおり、水道を蓄えながら、まじまじと何筋もの葉脈を私に見せてくれている。一つの物事には実に多様な繋がりが存在し、葉脈の如く、日本の偉大な文豪の天才性をこれからの日本に微力ながら私も継いでいきたい。
大道への道。立志。
岡村拓朗



