2026.5.29 夜
自分という物体が解らず、社会が要請するそれなりの人に見えるような物体として、それなりに一所懸命生きてきた。自分という物体が解らないから、それっぽく見える感じに仕上げてきたといっても言い過ぎじゃないと思っている。それは多分、僕だけの話じゃなくて、多分だけど多くの社会人、大人が同じような感覚を抱いているのではないだろうか。然し、気付くと40半ばになり、人生の半分を経過したことを想像すると、そういう埋め込まれた自我像は少しずつ卒業したいと思っているのである。自分の好みや自分が好き、自分が嬉しいという感覚を大切にして生きていたいという、そんな想いが日に日に強くなってきている。それはぜいたくなことではなくて、自分という存在を手で触れながら、大切に扱いたいという、正直な欲求なのだ。あなたにはどのような正直な欲求がありますか?良い物を身に着けていたい、とか、(※一部黒塗り)良い曲を聴いていたいとか、良い香りをかいでいたいとか、それは高級な物だけを指しているのではなくて、自分が、自分の心や魂や気持ちが、とんっと優しく柔かく触れる感じのレベルで、つい手を触れたくなるようなものを指している。心が満たされるとき、人は余計な雑念から解放されて、ある程度、純粋無垢な状態であれるのだと。そういう時を感じられるなら、今日の仕事がちょっと大変でも、多分、人生の集大成としては美しい形であると思うんだよね。僕は、そういう状態で生きていこうと思っているし、殺伐とした人たちも僕と同じように生きられたら、おこがましいけど、少しは楽に生きていけるように思うんだ。支離滅裂でもいい、自分が書きたいことをここに書けているならそれは今の瞬間充実した生を生きているのだと感じられて、最終的には今の瞬間しか僕たちは生きていけないことを悟る。そういうことを自分の人生で他人に伝えてゆくことができたら、幸せなんだろう。少し魂の形が見えた。

岡村拓朗