内省、省察の仕方
2026.6.24(水)朝
内省を伴う心の深化と反芻を伴う夢の明化によって自己の生きる道が見えるならば、この作業をやらないわけにはいかない。
パソコンで思っていることを書く時、どこか軽いものの、浅いレベル、感覚を伴わない状態、或る程度想定がつく内容に留まる傾向が強いように感じられる。
その一方で、紙にペンを使い思っていることを書く時、それは手を止めずに書き続けることが条件に這入るが、その時はどこか軽い状態から手が動きはじめ、次第に自身における核心部分が表現されはじめ、重たさや深さを伴うものが書かれ、想定外の内容に辿り着くことが多い。
この現象を省みた際、頭で書くか、身体全体で書くかで、表現の深度の差が生まれ、どちらも一定の価値があるが、私自身は内省や省察を深めるのなら、手を止めずに書き続けることを推奨したい。
コーチングでコーチから想定外のことを問はれ、思はぬ自己を発見することはコーチングの価値であるが、いかんせん話している内容を覚えることは難しく、また、新しく学習をしない限り、当人の話す内容は往々にして、堂々巡りの解に辿り着きやすいように、プロコーチとしてクライアントの話を聴き、また、私自身の体験を通して、そのように感じることが多かった。
コーチングは深い省察を与えることもあるし、身体を使って自己表現で自身の殻を破ることもある。また、コーチによる応援で行動を促され、一定の強度をもって日々のルーティンの中に新規行動を取り入れることもできる。
それはコーチングの主な価値だ。然し、人が持つ価値観や信念にはとんでもなく強固なものが多く、それは、三つ子の魂百まで、ということわざが存在する様に、良い悪いではなく、変化し難いものが人の奥底に存在することも否めない。
詰り、生身の人間がコーチングで発する思考や感情は、其の当人の奥底にある簡単に変更し難い、価値観及び信念によって当人が同じ解を導出しがちであり、前回言った事と今回言っている事が同じものになるというパターンが多いように思はれる。
勿論、其れは私のコーチングの力量に依る経験の話なので、全体に共通する話ではないが、人は簡単に変われないことを言いたかった訳である。
それでも人は変われることを己を通して、また、関わった人たちを通して私なりに発見すると、人に関わり、その人の変化に関わることは、私にとっての大切な業なのだ。
人が変わる姿を通して、未知なるものが表れ出てきた時の遭遇は、この宇宙全体を解き明かす道の一つであるし、人の変化は人類が抱えた不思議な問題を解明する足掛かりになる。
紙に書く、人に話す、歩きながら考える、どの方法を採っても良いが、未知なる自分の発見が私にとって人生の業であり、また、不思議とその道にいることになった宿命なのかなんなのか天命なのか、いずれにせよ、その命を抱き締めて、己が魂から突き動かされる道を歩んでいきたい。
と書いているものの、見渡した時、毎回同じ着地に向かうことに私なりに一定の人生の解が見えたことを嬉しく感じると共に、この省察の結果の奥行や深度を異なる視点で見つめて行き、それを言葉で表せるようになりたいと、そう捉えた。
埴谷雄高が自同律の不快を言っていたことをふと思い出した。
五月雨。
岡村拓朗


