2026.8.3(月)夜

人生は一度切りなのか二度目三度目があるのか誰にもわからない。

わからないからこそ人生を思いっきり生きていけるとも言えるが、意外に当たり前に続く日に慣れて、死なないような、死を忘れてしまうような、そういう感覚に支配されていないだろうか。

2026年現在、昨年度のデータでは男性は81.35歳、女性は87.33歳ということで、80歳近くまで生きる人が増えたようだ。

私の年齢でいうと、既に人生の半分が終わってしまった訳であり、一日の時間の使い方は年々大切さが増しているし、一日を精一杯生きることを一つの目標に毎日過ごすことが増えた。

自分の強みを知ること


ストレングスファインダーという米国の統計機関が出した指標で計測すると、私の最上位は、達成欲、最上志向、親密性、コミュニケーション、競争性が上位を占めており、言葉だけ捉えても精一杯前向きに生きることが得意そうな人物に見える。

私自身、一日なにもしないでのんびりとただただダラケて生きることはできず、貧乏性のように何かを終え続けていないと無力に感じてしまう傾向がある。

一時期、そういう自分に嫌気が指したときもあったが、自分の強みを自覚的に意図的に活用することが生の実感を得るうえで、この上なく大切なものであることを少しずつだが悟っていった。

また、一つのものに凝ると徹底的に掘り下げて、飽きが来るまでやり続けることも、自分の傾向と強みであり、自分の才能と能力を引き上げる相棒になっている。

死を想うからこそ、今を生きる

冒頭に書いたことであるが、人生は一度切りなのか、そうでないかは誰にもわからない。ついでに言うと、私たちは死を経験できないので、死ということ自体も未知数である。

他人の死を見て、客観的に死という状態を認知できる反面、己自身は何があっても死を体験できないので、何に恐れていいのか深く考えていくと全くもって分からなくなる。

死を想えば潔く生きられそうな気もするが、それも何処か難しい。ただただ出来ることは、今という時間を感じて、思いっきり生きる、ということだけであろう。

今という時間を感じる

今を思いっきり生きるとはどういうことだろうか。

首のつかれを感じること、目に力を入れず無気力な一重が消えそうなほど脱力すること、眼鏡のズレを感じること、くちびるが乾いていることに気付くこと、眼の前の観葉植物が生きていることに気が付くこと、明日があるから寝たほうが良いのだけれども、今この瞬間の美しい時の流れに身を任せていたいこと、欠伸が出てきたこと、これらひとつひとつの行いに気がつけること。

誰が生きようとしているのか

しかし、今を思いっきり生きたいと思っているのは果たして誰なのだろうか。

「触れていて、触れられている二重感覚は、宇宙と自分が触れあっているとき、夢というかたちをとって感触されているのですよ。」
(オン!埴谷雄高との形而上対話 池田晶子著)

岡村拓朗