止揚

2026.6.7(日) 朝
社会人になる前は少し小説を読んだが、社会人になってからは専らビジネス書や自己啓発書を中心に実務書を読んできた。途中、友人の知り合いから紹介された松岡正剛さんの本に自分の見ている世界の小ささに恥じて、松岡さんの本を教科書がわりに一所懸命読んだ。記憶力が悪いようで他人に話せる知識までは大して昇華されなかったが、世界一周中に松岡さんの本は本質的な世界を教えてくれるガイドブックとなり、それぞれの文化がなぜそのような状態になったのかを本当に多少であるが、見えるようになった。表面で見えている情報の裏や深みにある処に想いを馳せることができると、一見自分と合わない物だとしても、何処か人間の奥底で眠っている人々に通底するものに、人種や国籍を超えて、信じ合えるものがあるように感じた。それは、地球に住む我々が、一人ずつは勿論異なるが、それでも同じであることを証明していて、日本の中に埋没していた自分を地球という一つの球体の上に存する者として見つめることができるようになっていった。それでも、これも当然だが、解り合えない人も多く存在し、互いが解り合うことは非常に難しいことも知った。世界一周の体験は僕にとって、人間という複雑怪奇な物体を知り、触れ、理解する大きな学びになった。これは当時を振り返れば言える現在地からの視点であり、当時の彼にはこのような理解に至っていなかったと思はれる。振り返って、当時を見に行くことで今の私には、そう思えたという至極詰まらぬ話だ。それでも当時を振り返って文字に起こし言葉として今置かれた文章を想うと、世界一周バックパックの放浪は岡村拓朗という物体を逞しくしてくれた出来事になり、又、孤独が私を迎え入れてくれた出来事になった。子供の頃から大人数と仲良くなるのが苦手で、集団の同じ空気の中で自分を押し殺さないといけない雰囲気に合わず、独りか少ない友と一緒にいることが多かった。社会人になると独りでいることは増え、いや、お付き合いしていた女性を思うと本当に独りだったかはささか疑問だが、まあ、その女性と一緒にいる以外はほぼ独りでいることが多かった。会社員を辞めて個人事業主として独立した時、この社会から相手にされなくなった感覚になり、この社会の人に少しでも認めてもらいたくて必死に新しい人間関係の構築に勤しんだ。人間とは弱いものだ。独りが好きと言いながら、人々の間にいる自分が認められていないと思うと、独りで居ることが苦しくなり、独りではない状態を意図して作り上げる。詰まり、独りで居るという状態が成立するためには、或る程度人々に認知されている状態が必要なのかもしれない。もし、当時独立した私が働かなくてもよい程のお金を持っていたとしたら、新しい人間関係を築いただろうか。今出てくる解は、築いた、となる。それは一人の人間が、人々の間で存在し、人々の間で呼吸するために必要であったし、実現したい目的の為に誰かとつながることが必須だった。独りはここまでの内容を踏まえると、一定したそれなりの自身が人間と関係が持てて、或る程度の自分への認知と生活する為の基盤が形成されることが条件になりそうだ。其して、それらの一定した状態が形成された今、私は独りにいられるようになった。あれだけ多くの人と関係を持とうと必死だったのに、一定の条件を達成した今、独りになることを優先できるようになった、というより、もともと独りが好きだったので、その状態で生きていくことができるようになったので、独りの状態に戻ったと言っても良いだろう。心地が良いのだ、独りでいることが。楽なのだ、独りでいることが。でもずっと独りで居られるかというと、やはりそれも耐えられない。誰かと接点を持って、一定認められる状態でないと、マズローのいうように欲求は達成されない。心理学者とはよく考えるものだ。そういえば研修や組織開発のコンサルティングに携わっていると、自律化という言葉に出会う。そして其れを推奨する節がある。自らを律し、自己の責任として生きていく状態を大雑把に言えば標榜しているように思うが、その自律した状態を認めるのは他者であり、本人がどれだけ自身が自律できていると述べても、最終的には定義化されたその自律に一定の水準に至っているか否かを第三者が判定しているように思はれる。仕事の文脈で言えば、其処に評価が這入り込むからであろうし、組織が目指す状態に向けて、個の自律が必要だからこそ、第三者が自律と認めて当人の自律が成立する。何だか詰まらぬ話に成ってきた。独りでいることも、自律することも、当人の希望があってのことだし、それを見ずに独りや自律を推奨することは息苦しくなる。それでもその息苦しい状態に身を置くからこそ、人は成長するし、発達していく。何を置いているのか解らなくなってきた。書きたかったことは、独りを重視し続けると、他人の事を軽く見ることにつながりそうな感じがして、最後にはどちらともとれないバランスの中で生きていくことが幸せの秘訣になりそうだということだ。独りを好んで生きた人生だが、独りであり二人であって全体であるということを松岡先生と放浪は思い起こさせてくれた。小さな自分が大きなものに寄与できるようになっていきたい。無念。
岡村拓朗












